【鹿児島市内 観光スポット】観光バス・シティビュー1日券を使って、西郷どん・幕末の観光スポットをまわりました。
今回は、鹿児島市内観光をご紹介します。
鹿児島市は、九州の一番南に位置する県庁所在地です。
のどかな町かと思っていたら、とても栄えていたので驚きました。
幕末の名所を中心に観光しました。
観光スポット同士の距離が近かったので、スムーズにまわれましたよ!
鹿児島中央駅
空港からバスに乗って市内に到着しました。
スタートは、鹿児島中央駅です。
「鹿児島駅と鹿児島中央駅がある…どっちがメインなんだろ?」
鹿児島中央駅とは別に鹿児島駅もありますので、要注意です。
初九州で、土地勘ない私は戸惑いました。
新幹線が通っていて、街も栄えているのは、鹿児島中央駅ですよ!
鹿児島中央駅には、大きな駅ビル「アミュプラザ鹿児島」があります。
アミュプラザには、「BEAMS」や「TOMORROWLAND」などのセレクトショップや色々なお店が入っています。
おみやげもたくさん売っていて、映画館や大きな観覧車もあります。
駅の入口は、西口と東口があります。
メインは東口です。
(ビッグカメラがある方は、西口です)
鹿児島中央駅に入って行くと、2F改札近くに観光案内所があります。
そこで、市内を周遊しているバス「鹿児島シティビュー」の1日券(600円)を買いました。
駅前ロータリーの4番から出ています。
同じ番号の停留所に似たような周遊バス「まち巡りバス」というのもありますので、気を付けてください。
「まち巡りバス」は1日券(500円)です。
(そっちの方が100円安いけど、シティビューの方がメインな感じでした。)
西郷隆盛像
西郷隆盛像です。
鹿児島といえば、やはり西郷隆盛です。
江戸城無血開城や明治新政府樹立など明治維新の三傑として活躍しました。
その後、西南戦争で新政府軍と戦い、鹿児島で自刃しました。
*維新の三傑:西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允
上野の像と違って、軍服姿です。
犬は連れていないようですね。
西郷隆盛のすぐとなりに鹿児島市立美術館がありました。
300円で入れます。
規模は小さかったです。
誰か1人の作品を展示するではなく、テーマを決めて色々な方の作品を展示してました。
鹿児島城(鶴丸城)
鹿児島城(鶴丸城)
築城年代:1601年頃
築城者:島津家久
美術館から歩いてそのまま鶴丸城へ。
徒歩2分くらいです。
残念なことに、門が工事中でした。
完成イメージです。
石垣の左角がへこんでいるのは、鬼門除けだそうです。
それにしても、お濠の中はボボボーボ・ボーボボと荒れています。
石垣もこけだらけ…
でも、リアルな感じがして良いです。
現実は、映画やテレビみたいに、石垣がきれいじゃないですよね?
天璋院さまの銅像
天璋院・篤姫
薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津斉彬の養女となり、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となる。
家定が35歳で亡くなったため、天璋院と号し、その後、前将軍の妻として大奥を仕切りました。新政府に徳川本家の存続を働きかけるなど、徳川家のために尽くしました。徳川家第16代当主家達(いえさと)を育てあげたのも天璋院といわれ、現在でも徳川家に大切にされています 。
鹿児島県歴史資料センター・黎明館です。
中で忘れずに、100名城スタンプをゲットしました!
薩摩義士碑
薩摩義士碑です。
「このお墓の人達に、何があったんだろ?」
1753年、徳川幕府は薩摩藩に木曽川・揖斐川・長良川(岐阜県)の改修工事を命じました。この宝暦治水は非常な難工事であり、約1,000人を動員し工費40万両を費やした末、1年3ヶ月かけてやっと完成しました。 その間、幕吏や地域住民との対立、 悪疫の流行などで88名の犠牲者をだし、その供養墓塔として薩摩義士碑が大正9年(1920年)に建立されました。藩の出費の責任をとって自刀した治水総奉行・家老平田靱負の碑を頂上に、将棋の駒を並べたような碑です。
1753年というと、第9代将軍徳川家重の時代です。
第8代将軍徳川吉宗なら有名ですけど、徳川家重ってマイナーですよね⁈
(私がおバカなだけかな…)
クイズで、「徳川将軍を15人答えろ」なんて出題されてら、答えが出てこない側の人です。
調べてみると、どうやら吉宗の子供のようです。
偉大な父に隠れてしまった将軍ですね。
老中は?
田沼意次ではないですか?
田沼時代の出来事だったんですね。
でも、これってヒドイ話です。
岐阜県の工事を、鹿児島県にやらせたんですよね⁈
当時の外様大名の半端ない苦労が、うかがえます。
西郷隆盛洞窟
薩摩義士碑から西郷洞窟まで歩いてすぐです。
途中のトンネル上に「敬愛天人」の石板がついてます。
西郷隆盛の座右の銘です。
「敬天愛人って、どんな意味なんだろ?」
調べてみると、色々な説明があって解釈が難しい言葉です。
直訳すると、「天を敬い、人を愛する」みたいですが、ニュアンスが少し違うようです。
京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、 日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏が、社是としたことで有名で、
「人びとを愛し、人びとが集う社会へ貢献することが私たちの天命」
と、説いています。
これが現代の人にわかりやすい解釈だと思います!
西郷隆盛洞窟です。
西南戦争の最末期に総攻撃を受けた西郷隆盛が、桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに銃弾に倒れるまでの、明治10(1877)年9月19日から同24日未明に至る6日間を過ごした洞窟です。
「こんな小さいところなの?」
マンションの下にある小さな公園の一部にあります。
中を覗きましたが、洞窟っていうよりただの穴です。
奥に続いてるように見えないけどな…
大河ドラマでは、洞窟に入っていなかったような…
内城跡
ここが今回の鹿児島旅行のメインスポットの一つ、内城跡です。
内城は、鶴丸城の前に島津家の居城だった城です。
島津義久がこの城を中心に九州制覇を成し遂げました。
私の大好きなゲーム「信長の野望」の新シリーズが出ると、ゲームシステムに慣れる為に、いつも島津家を最初に使っています。
島津家は、南から攻められることがないから、メチャクチャ簡単に全国制覇できるんです。
「信長じゃないんかい⁈」ってやったことない人は思いそうですが、織田家・信長は、有能な武将も揃っていて強いのですが、まわりの大名も強いので攻略は簡単ではないんですよ!
なんてこった⁈
その内城が、小学校になってしまってます。
なんて幸せな小学生達だ。
羨ましい…
お城跡地が学校なんて、他にはないんじゃないかな?
どうして内城跡が百名城の入っていないのかと疑問に思っていたんです。
こういうことか…
天璋院生誕の地
内城跡の真横です。
こちらは、個人宅になってます。
壁だけパシャり
仙巌園
仙巌園です。
19代島津光久によって築かれた薩摩藩主島津家の別邸です。
目前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な庭園は、数ある大名庭園の中でも他に類をみないスケールの大きさです。
また、海外とつながる「南の玄関口」といわれた薩摩の歴史にふさわしく、中国・琉球文化の影響が園内随所に見られます。
歴代当主に愛されたこの庭には、徳川将軍家に嫁いだ篤姫や海外の要人も足を運びました。
最近ではNHK大河ドラマ『西郷どん』のロケ地にも使われてます。
島津斉彬の写真も出ています。
島津斉彬
島津斉興(なりおき)の長男。薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家11代。藩営の工場集成館を設立し,殖産興業,富国強兵策をすすめる。養女篤姫(あつひめ)(天璋院)を将軍徳川家定の正室にして,幕府への発言力をつよめる。将軍継嗣問題では西郷隆盛らをもちいて一橋慶喜(よしのぶ)擁立運動をすすめた。
幕末の四賢侯の1人
福井藩第14代藩主・松平慶永(松平春嶽)
土佐藩第15代藩主・山内豊信(山内容堂)
薩摩藩第11代藩主・島津斉彬
宇和島藩第8代藩主・伊達宗城
ドラマですと、渡辺謙の濃い顔がインパクト強すぎでしたが、穏やかそうな顔をしていますね。
外様中の外様なのに、賢い方だったんですね。
反射炉跡です。
集成館事業
薩摩藩主となった島津斉彬は、日本が西欧列強から植民地化されるのではないかと危惧していました。これを防ぐため、西欧の科学技術を導入し「集成館事業」という近代化事業を推進しました。その中核となったのが日本発の洋式工場群「集成館」でした。
斉彬が築いた集成館は、薩英戦争でイギリス艦隊の攻撃を受け焼失しました。
今は反射炉2号炉の基礎部分などが遺り、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産となっています。
島津家水天渕発電所記念碑です。
御殿です。
桜島が絵の一部のように見えます。
まるで足立美術館のようです。
とてもキレイな庭です。
大河ドラマの衣装が飾ってあります。
左が、篤姫・北川景子着用。
相撲大会を観覧した際に着用していたものです。
右が、島津斉彬・渡辺謙着用。
袴に、シャツとベストを組み合わせています。
島津久光・青木崇高着用。
国父になった後に着用していた衣装です。
「龍馬伝」の「後藤象二郎」といい、いるようでいない良い役者さんですね。
ものすごく立派な薩摩焼が飾ってあります。
キャストのサイン色紙が飾ってあります。
左から順に、
西郷吉之助・鈴木亮平
篤姫・北川景子
島津斉彬・渡辺謙
島津斉興・鹿賀丈史
由羅・小柳ルミ子
尚古集成館
中は、博物館になってます。
薩摩焼
薩摩焼は、慶長の役に参陣した17代島津義弘が連れ帰った朝鮮の陶工たちによって始まります。
陶工たちは、薩摩の土を使って、大名道具の「白薩摩」や、庶民の器として「黒薩摩」など、様々な工夫を凝らした見事な焼き物を作りだしました。
島津薩摩切子
島津斉彬が海外への交易品にするために生み出した薩摩切子。
斉彬の急遽と明治維新の動乱にのまれ、いつしか「幻の工芸品」となりました。
1985年に仙巌園に隣接するゆかりの地で、職人たちと島津家が力を合わせ、復元されるようになりました。
薩摩切子工場
吹きガラスによる生地づくりから、カット・磨きまで全ての制作工程を見学できます。
「お土産に薩摩切子を買っていこうかな?」
と、思って値段を見てビックリ⁈
メチャクチャ高いです。
ただの小さな徳利で3万円くらいします。
このオシャレな建物はスタバです。
仙巌園
営業時間:8:30~17:30
定休日:年中無休
料金:大人(高校生以上)1,000円、小中学生500円。
島津家のお殿様が暮らしていた御殿内を見学するには、
別途、大人(高校生以上)300円、小中学生150円が必要です。
維新ふるさと館
維新ふるさと館です。
位置は鹿児島中央駅と天文館の間です。
少し通りから入った川沿いにあります。
「入館料が300円⁈安いから大したことないかな?」
と思っていたら、メッチャコスパ良かったです。
私は最後に行ってしまったんですが、朝イチに行くことをおススメします。
人形を使った立派な幕末劇がやっていたりして、勉強になります。
ここで、直前予習してから市内を回った方が、より鹿児島を楽しめると思います。
篤姫で「宮崎あおい」さんが着ていた衣装です。
手前・堀北真希さん、奥・松坂慶子衣装。
維新ふるさと館
開館時間:9時~17時(最終入館16時半)
年中無休
入館料:大人300円、小人150円(小中学生)
大久保利通像
大久保利通像です。
大久保利通
初期明治政府の中枢にあった政治家。通称一蔵。号は甲東。西郷隆盛とともに薩摩鹿児島藩の下級武士集団の中心人物。島津久光に信任され西郷,小松帯刀らと公武合体運動に尽力。やがて倒幕運動に転じ,西郷や岩倉具視,長州藩士らと結んで王政復古,戊辰戦争を主導し明治政府を樹立。以後木戸孝允らと版籍奉還,廃藩置県を断行した。岩倉使節団の副使として随行しビスマルク専制政治の影響を受けて帰国。1873年以後内務卿として事実上政府の実権を握り,地租改正事業,殖産興業政策を行い資本主義発展に努め,絶対主義的天皇制の布石をしいたが,紀尾井坂の変で暗殺された。
鹿児島はどこを見ても、西郷どんだらけなのに、一蔵どんはほとんど見ないです。
薩摩藩の双璧だったのに、これだけ差があると少し可哀そう…^^;
改めて、西郷隆盛の人気のすごさを感じます。
天文館
鹿児島市内で、栄えてる街です。
歌舞伎町のような感じでしょうか?
夜の繁華街です。
飲食店も多いので、旅行中に何度も寄りました。
鹿児島中央から歩いて10分ほどで、他の観光はスポットからの距離感も良いです。
「鹿児島がこんなに栄えてるんだから、もしかして山口も栄えてるのかな?」
明治維新の薩長同盟で考えると、長州・山口も栄えてるんじゃないかな?と思いました。(総理大臣もたくさん輩出してるし)
関東にいると、九州や中国地方は離れてるので、そういうのが全然わからないです^^;
鹿児島中央駅に戻ってきました。
夜は、観覧車がライトアップされてます。
まとめ
今日は、鹿児島市内を観光しました。
少し急ぎましたが、一日で鹿児島市内の主要な観光スポットを回れました。
シティビューの一日券を利用して、バス移動をしたのですが、それぞれの距離が近いので、場所によってはバスを待たずに歩いた方が早いところも多かったです。
次の観光スポットの案内が親切に表示されてるのが、とてもわかりやすいです。
行政が、観光に力を入れてるのがわかります。
お陰で、初めての鹿児島でしたが、迷わずに楽しめました。
レンタサイクルもありますので、天候次第ですが、若い人は自転車の方が早いと思います。
鹿児島は道幅が広いので、きっと走りやすいですよ。